ドイツで初めて民間で家庭支援事業を立ち上げた起業家、ザビーネ・ヴェルト(65歳)。妊娠後の病気やシングルファザー家庭などさまざまな理由で困窮する人々をサポートしている。ドイツ連邦共和国の功労勲章を受け、常に数々のメディアにも取り上げられている有名人だ。しかし彼女の名前が知られているのは、彼女の副業のほうだ。……いや、1円もお金を稼いでいるわけではないので副業とは言えないかもしれないのだが。
©Berliner Tafel e.V./ Dietmar Gust
その副業とは、彼女が29歳の時に立ち上げたフードバンクNPO「ベルリナー・ターフェル」。「ターフェル」とは、ドイツ語で「宴の豪華な食卓」という意味で、常にみんなに特別な食卓を提供したいという思いを込めてこの名をつけた。1993年、ニューヨークのフードレスキュー組織「シティハーベスト」を手本に、ベルリン市内に増えたホームレスの人に食べ物を届けたいと考えた。
彼女が29歳の時に立ち上げたベルリナー・ターフェル。©Berliner Tafel e.V./ Dietmar Gust
スーパーマーケットに直接交渉に行き、まだ安全に食べることができるが賞味期限やパッケージの破損などの問題で廃棄される食品を引き取って、ホームレス保護施設や女性シェルターなどの施設に運んでいる。また、週に1度ベルリン市内のいくつかの場所では、1~2ユーロで食品を配布する「ライプ&ゼーレ」も行う。いまや、ベルリナー・ターフェルは毎月約13万人に食品を提供。2000人以上のボランティアスタッフにより食品の回収、仕分け、配布などを行う組織となった。
ベルリンでスタートした「ターフェル」はアッという間に全国に広まり、現在ではドイツ全体で960以上の団体がある。©Berliner Tafel e.V./ Dietmar Gust
実はこのベルリナー・ターフェル、行政、公的な資金援助を一切受けず、サポーターによる寄付や月額2.75ユーロ〜からの会員費によって運営されているからすごい。食品の回収と配布を行う商用車は、メルセデスがスポンサーだ。子ども向けの料理ワークショップなども行っているが、このバスもベルリン交通局からの支給品。こういった交渉もザビーネの仕事のひとつだ。
仕分け作業を行う巨大なコンテナの一角にオフィスを持つザビーネ。本業の家庭支援事業も忙しそうで、インタビューの間もひっきりなしに電話がかかってきていた。
なぜ彼女は、公的支援を拒むのだろうか。
「政府をビシビシ批判したいから、距離を保ちたいんです。市民が生きていけるように基本的な生活の補償をするのが政府の仕事ですからね! 私たちが行うのは、援助だけ。住む家がある人たち向けの食品配布「ライプ&ゼーレ」を週に1回と決めているのもそういう理由です」
そして、彼女はとびきりの笑顔で笑う。
「人はパンで生きられるけど、それだけじゃなくて一緒にいる人がいるからこそ生きられる。私にとっては当たり前のこと。本業もあるのに疲れないかって? そちらは信頼できるスタッフにだいたい任せているから、ターフェルの仕事をしてなかったら退屈しちゃいますよ!」
text: Hideko Kawachi
河内秀子
ライター。2000年からベルリン在住。ベルリン芸術大学在学中に、雑誌ペンなど日本のメディアでライター活動を始める。好物はフォークが刺さったケーキ、旧東ドイツ、マンガ、猫。ドイツでも日本でも「そとのひと」。 twitter:@berlinbau